「ちょっと箸休め」⑤ ~ 愛媛県にあった藩 ~
伊予八藩とは?
こんにちは! 防災士&災害備蓄管理士の Polkoです🐷
今日の「ちょっと箸休め」は江戸時代に伊予国(愛媛県)に存在した8つの藩についてです。当時四国の中でも伊予だけが飛び抜けて藩の数が多かったので、江戸幕府の一国一城令に反して多数の城も存在しました!
八藩の概要について調べてみましたのでゆっくりしていってください(^^)
1. 伊予国の成立と分割統治
旧律令制のもと南海道に属する4か国(四国)の伊予国として成立しました。伊予国は島の北西部に位置しており、成立当時は都人たちの流刑地(中流刑)でもあったようです。時代が下り戦国末期の安土桃山時代、豊臣秀吉の天下統一事業が推し進められていく段階で、伊予国は秀吉配下の武将たちに与えられ分割統治されました。これが伊予八藩の前身と言われています。
<伊予国>
■伊予国
■南海道
※この写真はWikipediaの伊予国「https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E4%BA%88%E5%9B%BD」画像を素材として二次利用しています。
2. 八藩の概要
八藩は江戸時代幕末まで存在した藩のことを指します。八藩を幕末の石高順(多いものから)に並べてみると以下になります。
第1位 : 松山藩・・・石高15万石、藩主親藩久松松平家、1635年成立。
第2位 : 宇和島藩・・・石高10万石、藩主外様伊達家(分家)、1614年成立。
第3位 : 大洲藩・・・石高6万石、藩主外様加藤家、1617年成立。
第4位 : 今治藩・・・石高3万5千石、藩主親藩久松松平家(分家)、1635年成立。
第5位 : 西条藩・・・石高3万石、藩主親藩松平家(紀州藩徳川家分家)、1670年成立。
第6位 : 伊予吉田藩・・・石高3万石、藩主外様伊達家(宇和島藩分家)、1657年成立。
第7位 : 小松藩・・・石高1万石、藩主外様一柳家、1636年成立。
第8位 : 新谷藩・・・石高1万石、藩主外様加藤家(大洲藩加藤家分家)、1623年成立。
隣国の土佐(高知県)が一藩・阿波(徳島県)が一藩・讃岐(香川県)が二藩体制であったことと比べて、小藩が多いのは今日まで様々な説が唱えられていますが、やはり伊予国が約50万石に迫る大国であったことが分割統治されたことの一番の理由に思えます。土佐藩(外様)が約20万石・徳島藩(外様)が約25万石・高松藩(親藩)が12万石・丸亀藩(外様)が約5万石ですので、やはり徳川幕府としても小藩の分割統治がバランス的に好ましかったのではないでしょうか?
ちなみに八藩の中で城持大名は石高第4位の今治藩までで、第5位の西条藩は親藩(徳川家の親戚)でしたが、城持ちではなく陣屋(城ではなく平地の館)を構えた大名でした。
3. 現在の遺構
現在、松山藩・宇和島藩・大洲藩・今治藩の四藩の居城はそれぞれ松山城・宇和島城・大洲城・今治城として現存しており、観光地として天守閣やその他の遺構を見学することが可能です。皆さんも愛媛へお越しの際はぜひ4城へお越しください(^^)/
<4つの城のWebサイト>
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●松山城 https://www.matsuyamajo.jp/