「ちょっと箸休め」③~ 川之江城(愛媛県四国中央市)~
市の記念事業で再建された天守
こんにちは! 防災士&災害備蓄管理士の Polkoです🐷
今日の「ちょっと箸休め」は愛媛県四国中央市にある川之江城についてです。今回は地元四国中央市の川之江城についてすこし調べてみました。あまり有名ではありませんが、城郭に興味のある方はぜひ休んでいってください(^^)
<川之江城>
※Googleマップより引用
1. 築城は南北朝時代
南北朝時代に伊予国を領有していた南朝方の豪族河野氏支配の一翼として、1337年配下の武将である土肥義昌によって築かれました。しかし1342年北朝方の細川頼春(室町幕府管領細川京兆家の祖)の攻撃を受け落城、土肥義昌は討死を遂げました。
以後は細川京兆家の分家に当たる細川野洲家の支配が続きましたが、戦国時代に入り野洲家7代当主細川通薫のときに、独力で維持することは困難と判断して、伊予河野氏に譲り渡しました。
2. その後の川之江城
伊予河野氏のもとで在地の有力者であった妻鳥友春が城主となりましたが、河野氏を裏切って土佐の長宗我部元親と通じたため、河野氏配下の河上安勝に攻め滅ぼされました。しかし1582年河上安勝も長宗我部氏の攻撃により(一説には長宗我部の意を受けた隣城の大西備中守の奇襲により)討死、城は落城しました。
川之江城がある鷲尾山(城山)の海側には、落城時にこの城の姫君が馬に乗って海に身を投げたと言われる崖が残っています。(※姫ヶ嶽伝説)
長宗我部氏支配の数か月後に、豊臣秀吉の四国征伐が始まり長宗我部氏は降伏、その後は小早川→福島→池田→小川氏を目まぐるしく領主が替わり、加藤喜明のときに廃城になりました。(※一国一城令)
3. 江戸時代の川之江
1636年、一柳直家が2万8千6百石(川之江領は1万8千6百石)でこの地に封じられ川之江藩を立藩しましたが、1642年に後継を残さず病没したため、川之江領は没収され天領(幕府直轄領)となりました。
4. 現在の川之江城
1986年、旧川之江市制施行30周年記念事業として、天守・涼櫓・石垣などが再現され城山公園として整備されました。天守閣再現にあたっては愛知県犬山城を手本にしたと伝わっています。春には桜の名所として地元市民に親しまれています。
皆さん近くへお越しの際には、ぜひ一度川之江城へお越しください(^^)/
<四国中央市役所ホームページ >
川之江城史の紹介
https://www.city.shikokuchuo.ehime.jp/soshiki/30/3616.html